「軍隊っていうのはどこの国でもそうだけど、優秀な兵隊を作るんじゃなくって、クズのいない部隊を作ろうとするんだ」
浅田次郎氏の「歩兵の本領」という本を読んだ。
自衛隊経験のある浅田次郎氏の実体験をもとにした、高度成長期の自衛隊員の若者の青春グラフィティである。
この本の中にちょっと感じ入るセリフがあった。今、まさに自衛隊に入営しようとする「米山」と、彼の教育係となる「渡辺一士(一等兵)」との会話である。
「俺、通用しますかね。体もナマってるし、手も早いし、人づきあいもうまかないんだけど」
「おまえが通用するかどうかじゃなくって、俺たち助教がおまえら全員を通用させなけりゃならないんだ。そんなの、今さっき部屋にいた連中を見ればわかるだろう。自衛隊には落第生がいないからな」
「どうして?出来のよしあしってあるでしょう」
「多少はあるけど、落ちこぼれはいない。なぜかわかるか」
人生の是非にかかわるような、大事な話を聞かされているような気がした。渡辺は作業帽の庇を上げて、夜空にそびえるマンションを仰ぎ見た。
「一人のバカのせいで、十何人の戦闘班が全滅する。一個班がノロマだと一個小隊が全滅する。だから軍隊っていうのはどこの国でもそうだけど、優秀な兵隊を作るんじゃなくって、クズのいない部隊を作ろうとするんだ」(浅田次郎「歩兵の本領」176p)
ちょっと意外な気がしたけど、すぐに「なるほどなっ」とうなってしまった。
落第生がいないということは、どんなに出来が悪いやつがいたとしても決して見捨てないということだ。
隊員同士のこんなやりとのページがあった。
「でもよ、小村。考えようによっちゃ悪いところじゃないぜ。ヤクザは殴るだけだけど、自衛隊は殴った分のことを、ちゃんと教えてくれるもんな」
「そうかな。俺はそうは思わないけど」
「おまえは苦労が足らねえんだ。自衛隊は殴りっぱなしがねえよ。殴ったあとは、わかるまでちゃんと教えてくれるだろ。ゼッタイにあきらめない」
「そうかなあ。うちの営内班は冷てえと思う」
「そりゃ小村、おまえが少しはデキがいいからだよ。手取り足取り教えなくたって、自分で覚えられるから。その点、俺なんか中学中退で、読み書きだって満足にできねえだろ。うちの部屋長は、毎晩消灯前の一時間、俺に字を教えてくれるんだ。そんなこと、中学の先生だってやってくれなかったよ」(浅田次郎「歩兵の本領」64p‐65p)
実際の学校や会社組織の中では、例えば係長が残業も厭わずにデキの悪い社員に付きっ切りで手取り足取り仕事を教えるなんてことはまずないだろう。
多くの会社では使い物にならないと判断された社員はクビを切られておしまいである。
生産性の向上が声高になってきた最近では、自分で学び、工夫し、改善できることが社員に求められる風潮だ。もちろん、生産性を最大化するために、一人ひとりがよく考えて工夫をすることは大切なことだと思う。
でも、なんとかしようと足掻いて、苦しみながら組織の役に立とうと思って頑張っているけど結果に結びつかない、思うようにいかなくて悩んでいる社員だってたくさんいる。私だって1年半前はそんな社員の一人だったという自覚がある。
生産性が悪いからという理由でそういう社員をあっさり見限ってしまうことは果たして良いことだろうか?私は正直違うと思う。
一人の優秀な社員がより生産性を上げられる仕組みや業務効率化の手法を編み出したとしたら、それを部署のメンバー全員が理解して、全員が再現できるように平準化すること。組織がもつ生産力の平均値を底上げすることが大切だ。
一人のスーパーエースが引っ張っていく組織は長続きしない。経験のある人、知識があり、新しい仕組みを作れる人が、チームみんなにその知識や経験知を伝えていくことが出来れば落ちこぼれも出ず、組織も力強いものになっていくんじゃないだろうか。
そのためにはリーダーの気概が大切である。リーダーが利己的で自分の経験や知識を部下に伝えず、部下が失敗したときだけ口を開いて叱責するようでは部下は頑張れない。
部下の立場としては働きっぷりをよく見てくれていて、厳しくも面倒を見てくれる人、信頼してくれている人についていきたいし、そんな人のためなら多少無理をしてでもいざって時には期待に応えようとするものである。
決して見捨てない、あきらめない、チームみんなで頑張る。
こう書くとめちゃくちゃ全うなこと。
「歩兵の本領」を読んでそんなことを考えました。